インタビュー

Timbaland

ポップ・マーケットの最上階に立ったビートの魔術師が、またしてもシーンに劇薬をばらまいた! 各界の鮮烈な個性を配合したショック療法……これはキクぜ!!

違うレヴェルにいる


  ヒップホップ/R&Bのみならず、現在のポップ・ミュージック界において最大の影響力を誇るプロデューサーと言えば、ティンバランドしかいないだろう。彼がクリエイトするビートは必ずヒットとなり、そのたびに多くのフォロワーを生み出してきた。彼がアリーヤの『One In A Million』(96年)やミッシー・エリオットの『Supa Dupa Fly』(97年)でクリエイトしたビート(日本では〈チキチキ系〉とも呼ばれた)は、その倍速リズムをコピーするプロデューサーが続出して定番のビート・パターンとなった。また、ジェイ・Zの“Big Pimpin'”(99年)やミッシー・エリオットの“Get Ur Freak On”(2001年)に代表されるヒットをとおして、ティンバランドはUS産のポップ・ミュージックに東洋~中近東音楽の音色やリズムを持ち込んだ。このように、何度もポップスに革命を起こしてきた彼だが、2006年から2007年にかけて見せた怒濤の快進撃は凄まじかった。なかでも、ジャスティン・ティンバーレイクの『FutureSex/LoveSounds』に収録された“SexyBack”や“My Love”はテクノやエレクトロニック・ミュージックの要素を巧妙に採り入れていたし、ネリー・ファータドの『Loose』に収録された“Promiscuous”や“Say It Right”では80'sポップスとエスニック・ミュージックのサウンドを融合させていたのだ。

 一方で、アーティストとしてのティンバランドは、ティンバランド&マグー名義で3タイトル、ソロでは98年に『Tim's Bio』をリリースしているが、新作『Shock Value』を作る発端となったのは、ジャスティン・ティンバーレイクの助言だったらしい。

「ジャスティンが俺にソロ・アルバムを作ることを強く勧めたんだよ。俺は彼のアルバムを作って十分に楽しめたと思ってたんだけど、ジャスティンは〈いまの君は違うレヴェルにいる。君は僕やネリー(・ファータド)に物凄いインスピレーションを与えてくれたけど、それを君自身のソロ・アルバムでも表現するべきだよ〉と言ってくれたんだ。〈ずっといっしょに仕事してみたいと思ってた人たちと共演して、自分自身にお返しをするべきだよ〉ってね」。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2007年04月05日 16:00

更新: 2007年04月05日 16:08

ソース: 『bounce』 285号(2007/3/25)

文/バルーチャ・ハシム