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インタビュー

FLYING LOTUS

どこまでもディープで、どこまでもドープ。ざわめきが揺らめき、煌めきが艶めく、コズミックなブレイクビーツの最高到達地点……コイツなら、どこまでも飛べるぜ!

まだこのアルバムは好きだな


 言いたいことはひとつだけ。浴びてもらうしかない。何を。『Los Angeles』を。真っ暗な海の底の底の底で薄明かりに出会うようなディープな音世界を。フライング・ロータスのニュー・アルバムは非常にストイックで、なおかつビートそのもののヴァラエティーが際立って豊かな傑作だ。注意深く聴くのをやめれば、厚い音の襞が一様にざわざわと蠢いているだけにも思える。いずれにせよ、音を浴びる心地良さを痛感させてくれることに変わりはない。

「作り終えたら自分では嫌いになっちゃうかもって思ってたけど、実際にはいまも気に入ってるよ。昨日もアルバムを聴いてて、〈うん、まだこのアルバムは好きだな〉ってちょうど思っていたところさ(笑)」。

 そう語るフライング・ロータスことスティーヴン・エリソンは、ここ数年でジワジワと注目を集めているLAのアンダーグラウンド・シーンから登場した25歳のトラックメイカーである。昨年亡くなったアリス・コルトレーンの甥にあたるという毛並みの良さもあって、子供の頃からさまざまな音楽に触れる環境にあったという。

「ジャズ、クラシック音楽、ロック……多くの子供たちは一種類の音楽を聴いて育つのかもしれないけど、オレは家族のおかげで違ったものを本当にたくさん聴くことができたんだ。自分ではサックスを何年間かやっていて、楽しかったけど自分にとっていちばんのものだとは感じなかった。むしろ、誰か他の人がやるべきものだと思ってたよ」。

 そんななかで、彼がもっとも好んだのは、みずから選んだヒップホップだった。

「子供の頃はいつもドクター・ドレーのようになりたいと思っていたんだ。彼は最高だよ。理解してくれる人は周りにいなかったけど、スヌープの『Doggystyle』が大好きでね。自分でビートを作りはじめたのは14歳の頃。従兄弟に貰ったMC-505で何百ものサウンドを作ったんだ。その時は何も考えずに楽しんでいただけなんだけど」。

 やがて音楽よりも映画に興味を持つようになった彼は、20歳でサンフランシスコの映画学校に入学しているが、そこで出会った友人がPCでブレイクコアを作っていたのに衝撃を受け、ラップトップでの音楽制作を始めることになる。当初は「PCで音楽を作るなんてSFみたいに感じた」という彼だが、ジョン・ロビンソン(リル・サイ)のミックステープ参加を契機にカルロス・ニーニョらLAの顔役と出会い、自身の生年を冠したファースト・アルバム『1983』を2006年にリリース。翌年にはワープと契約してEP『Reset』で絶賛を浴びている。

「契約前にはいくつか他のレーベルからもアプローチされていて、カルロス・ニーニョに相談したんだ。彼は俺のアドヴァイザー的な存在なんだけど、俺が〈いろんなオファーがきた!〉ってはしゃいでいたら、彼は〈待て! まだ契約するな! もう少し待てばワープとかアンタイが興味を持つかもしれないぞ!〉ってずっと言ってたんだ。そしたら2か月後にワープから連絡がきたんだよ! 彼らは上手くいったことを繰り返さずに新しいことをやり続けていて、素晴らしいレーベルだと思うね」。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2008年06月05日 17:00

更新: 2008年06月05日 18:00

ソース: 『bounce』 299号(2008/5/25)

文/出嶌 孝次