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インタビュー

Estelle

ジョン・レジェンドも惚れ込んだ才能の輝き……ロンドンのストリートに育まれたタフでソウルフルな黒い宝石が、いよいよ世界へ向けて誇り高き光を放つ!

音程が外れててもお構いなし!


  ジョン・レジェンドの新レーベル=ホーム・スクールの第1号アーティストとなり、US進出を果たしたエステル(・スワレイ)は、すでに本国UKでは〈MOBOアワード〉の新人賞に輝くなど高い評価を得ていたシンガー/MCだ。セネガル生まれでシエラレオネ育ちという母親とグレナダ出身の父親のもと、9人兄妹のなかで育った西ロンドン出身のブラック・ガール。自身の誕生日である(1月)18日をタイトルに冠したファースト・アルバム『The 18th Day...』の時点でヒップホップ、ソウル、レゲエなどをミックスした独創的な音楽をやっていた彼女だが、「ただその時々で感じたものを音にしてるだけ」と本人も言うように、エステルの音楽は計算して〈融合〉したようなものではなく、黒い出自が無意識のうちに滲み出てきたといったもの。その起源はゴスペルにあった。

「家ではいろんな音楽が流れてたけど、3年間くらい家のなかで聴く音楽はゴスペルだけ、って言われてた時期があって……冗談じゃないわって(笑)。まあ、黒い小さなラジカセを枕の下に隠して、ヴォリュームを絞っていろんな音楽を聴いてたけどね。でも、教会で自分をさらけ出すことを学んだっていうか、教会では目を閉じて思いっきり感情移入して歌ってた。音程が外れてようとお構いなし。自分のすべてを注ぎ込んでリアルなパフォーマンスをすれば、皆が応えてくれるってことに気付けたのよ」。

 正規デビューする前からミックステープ作品を何枚か出していたエステルは、かなり前からUKヒップホップのシーンに身を置いていた。また、『The 18th Day...』でソー・ソリッド・クルーのメガマンと共演していたようにUKガラージのシーンとも手を繋ぐ彼女は、ほとんどのアーティストと顔見知りで、ポップス系の人脈もあると言う。だから自然と音楽の自由度も高くなるわけだが、それゆえにデビュー作を上手くプロモーションしてもらえず、彼女も「あのアルバムがUSでリリースされなくて本当に残念だった」と嘆く。そこに手を差し伸べたのが、『The 18th Day...』の収録曲“Hey Girl”にも関わっていたジョン・レジェンドだった。

「彼がカニエ・ウェストの『The College Dropout』のレコーディング中にハリウッドのソウル・フード・レストランでランチしてるところに偶然私も居合わせて、そこで自己紹介したの。それからいっしょに音楽をやるようになって、自分の次のアルバムが出せそうにない、って時に相談したのよ。レーベルや周りの人間が私の音楽を頭ごなしに否定してくるなか、ジョンだけは〈上手くいくよ。ミッシー・エリオットが売れて、メアリーJ・ブライジが売れて、ローリン・ヒルが売れて、これが売れないわけない〉って。私も〈マジ? じゃあやろうよ〉ってすぐに快諾したの(笑)」。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2008年07月03日 20:00

ソース: 『bounce』 300号(2008/6/25)

文/林 剛