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インタビュー

KERI HILSON

パーフェクトスター・パーフェクトスタイル。数多くのヒットを綴った才女がペンをマイクに持ち替えてスターダムを昇っていく。手を伸ばしてももう届かない……

私が何者か、わかってもらいたかった


  ニーヨが成功を収めて以降、もともと裏方として活躍していたソングライターが次々と表舞台に進出してきているが、そのムーヴメントからアーティスト・デビューを果たす初めての女流ソングライターであり、切り札的存在といえるのがケリ・ヒルソンだ。彼女のアルバム・リリースは2006年の秋にはすでにアナウンスされていたが、レーベルの政治的事情などもあってたびたび延期を繰り返し、結局このタイミングになってしまった。

 「このプロジェクトがスタートしたのは3年以上前。ここまで時間がかかったのにはいろいろな理由があるけど……いくらソングライターとしての実績はあっても、アーティストとしては駆け出しの新人だったからね。辛抱強く自分の順番を待つしかなかったのよ」。

 だがいまにして思えば、ケリの実績と才能を広く知らしめるうえでこれは必要な時間であった。そもそも、ケリの活動基盤であるソングライター・チーム=クラッチの存在が大きくクローズアップされるようになったのはここ1~2年のことだし、全米チャートで3位まで上昇したティンバランド“The Way I Are”をはじめとする数々の客演がなかったら、彼女のデビューを取り巻く状況は微妙に違ったものになっていたかもしれない。

 「クラッチでは毎日のように活動してる。私たちはスタジオにいるのが大好きで、仕事が遊びのようなものなの。スタジオに入り浸って、ちょっと楽しんでいる間に数曲出来ちゃうって感じ。チームとしての将来のプランは特に立ててないわ。人生の流れに任せて活動してるの。私が書いた曲のなかでいちばん誇りに思っているのは、リュダクリスの“Runaway Love”とブリトニー・スピアーズ“Gimme More”。でもあらゆる意味でターニングポイントになったのは、やっぱりティンバランドの“The Way I Are”ね。この曲のおかげでいまはどこに行ってもみんなが私のことを知っているし、こうして日本の取材を受けることにもなったわ(笑)」。

 このような経緯を経て、ようやく完成を迎えたファースト・アルバム『In A Perfect World...』。そのコンセプトからは、輝かしい成果を上げてきたケリの自信と誇りを垣間見ることができる。

 「有名プロデューサーに電話して、〈あなたの曲が欲しい〉ってお願いしたりはしたくなかった。ケリ・ヒルソンが誰なのかを定義するアルバムにしたかったから、ゲストも最小限にして、プロダクションもファミリーのなかでとどめたの。ティンバランド、デンジャ、そしてポロウ・ダ・ドン。アルバムをコントロールしたのは基本的に彼らだけ。世界に私が何者かをわかってもらいたかったの。何か人とは違うことをやりたかったのよ」。

▼『In A Perfect World...』に参加したアーティストの作品を一部紹介。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2009年07月01日 18:00

ソース: 『bounce』 311号(2009/6/25)

文/高橋 芳朗