Lady Sovereign
ポニーテールは振り向かない。好きでも嫌いでも、女でも男でも、ちびっこでも巨漢でも関係ない。1本のマイクだけで世界を刺し貫くレディ・ソヴァリンに刮目せよ!!
すべてが猛スピードだった
初めての人には、こんな例えから――夕刻、渋谷の〈109〉に立ち寄り、今日学校であったことを友達とぐだぐだダベリながら帰りの時間を潰してる。レディ・ソヴァリンは、ルックスだけならそういういまどき普通にいる女の子だ。櫛通りのいいロングヘアを固く束ね、ジャージ素材のトップスとスニーカーでボーイッシュに決めた彼女のファッションは、ロンドンもそうだろうけど、いまの渋谷の街並みのほうがもっと自然に、強烈に溶け込む。
「渋谷には行ってみたいわ。カワイイ洋服でいっぱいなんでしょ。好きなブランド? アディダス、ステューシー、ハウス・オブ・ホランドね」。
アルバム『Public Warning』のリリース前に、そのハウス・オブ・ホランドから自分のロゴ入りTシャツが出た。いや、これはソヴァリンの副業(?)の話。彼女がいまやってる音楽はこうやって始まった。
「デモとかを作ってネットに流してたの。そしたら凄い反応が来たの。いいえ、ラヴレターね、〈ボクの恋人になって!〉みたいなやつ(苦笑)。でも、なかにはちゃんとしたDJとか雑誌関係者もいて、彼らのサポートが大きかったわ」。
昨年末にようやく21歳になった彼女は、東ロンドンのチョークヒル――「とにかくメチャクチャ(笑)。凄く荒れてる場所よ」――という街で育った。自宅から数ブロック先にはサッカーで有名なウェンブリー・スタジアムがある。そうしたことから最初の夢は女子サッカー選手になることだったらしい。しかし教師とウマが合わず、学校は途中でドロップアウト。サッカー選手の道も同時に断たれ、退屈な時間だけがただ流れる日々が続く。そんな平凡な毎日に変化をもたらしたのが音楽だった。
「ラッパーをめざすようになったのも、あの当時流行ってた刺激的な音楽のおかげよ。2ステップやドラムンベース。だからといってクラブ通いしてたわけじゃないの。だって未成年だったもん(笑)」。
ラップそのもののスキルは、むしろUSヒップホップのそれに負うところが少なくなかった。いわく「レッドマン、エミネム、バスタ・ライムズ……そういう時代のね」。2004年には最初のEP“Ch Ching”が発表された。プロデューサーは新人女性の登竜門に欠かせないサンシップ。この一枚の評判はシカゴのレーベルであるチョコレート・インダストリーズにまで届けられ、シングルなどを集めた編集盤『Vertically Challenged』(2005年)にまで発展している。USにも流布される〈SOV〉という記号……アルバム・デビューのシナリオが準備され、いよいよデフ・ジャムとの契約へと至った。
「驚いたわ、すべてが猛スピードだったから。オフィスに行くと憧れのジェイ・Zがいて、目の前でフリースタイルもやった。メチャ緊張した。おかげで途中トチッたわ(苦笑)。でもジェイ・Zはこう言ってくれた、〈そのまま続けて、自分らしく〉って」。
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