インタビュー

rub-a-dub market(2)

何か新しいことをやりたい

 「3人ともそれぞれ違うレゲエのクルーにいて、僕とジャーゲは代官山にあったドゥーニアっていうクラブで活動していたんです。現在もやってる〈SDM(Strictly Dancing Mood)〉っていうパーティーは、そこで始めたんですよ。僕は働いていたんですけど、ジャーゲは最初お客さんで。もともとラバダブ・セットでやってたんで、盛り上がるとDJが入ってくるという感じ」(e-mura)。

「俺はセキュリティー的な感じで(笑)」(ジャーゲ)。

「僕はクラジャマ(Club Jamaica、西麻布のクラブ)とかで、セレクターをやっていて。その頃、レゲエをやっている人口がすごく少なくて、だからどっかで繋がるんですよ、e-mura君とも。〈いずれ、何か新しいことをやりたい〉みたいなことは思っていて、それで〈いっしょにやろうよ〉となったんです」(MaL)。

「実際にいっしょに活動を始めたのは、90年代後半じゃないですかね。その頃は3人ともレゲエのクルーとしての活動は辞めていて」(e-mura)。

「ドゥーニアはもうなかったんですけど、e-mura君が青山にあった真空管っていうクラブでDJをやってて、俺もそこには遊びに行ってて。後にMIX(青山にあったクラブ)でレギュラーのパーティーを始めるわけですけど、それ以前はいっしょにクラジャマでやってたりもしました。クラジャマでもMIXでも、ダンスホール的な内容をキープしながらも、選曲はわりと多ジャンル。狙ったわけじゃないけど(正統的なレゲエのスタイルから)形が崩れていった」(MaL)。

「その頃は基本的にダンスホールはプレイするけど、リアルタイムの曲だけじゃなくて、古いのも混ぜてました。で、そこにスタジオ・ワンとかのクラシックスも入ってくるし、スカとかも入ってくるし、時にはジャズっぽいのもかけてみたりとか、ブレイクビーツやドラムンベースとかも入ってきたりとか」(e-mura)。

「真空管ではe-mura君がマジメにDJしている時に、俺もジャーゲもマジメにナンパしてたって感じです(笑)。だから、(活動が本格的になるのは)MIXからですね。真空管ではわりと音楽とかどうでもよかったですもん(笑)」(MaL)。

「近所に勤めているアパレルとかOLの人とかが遊びに来ていて、そういう人たちがダンスホールで盛り上がっているっていう(笑)、そこがよかったですね」(e-mura)。

「真空管はクラブらしいクラブ。99年にMIXで第2期〈SDM〉がスタートして、それから少し後に、RUB-A-DUB MARKETっていう名前ができたんです」(MaL)。

「e-muraさんの家にたまってて、悶々としてたんですよ。そうしたら、e-muraさんが〈RUB-A-DUB MARKET〉って言い出した。というか、紙に書いてあった」(ジャーゲ)。

「自分で曲も作りはじめていて、ヒップホップでいう2MC1DJみたいな形態のことをレゲエでやりたいなと漠然と思っていて、RUB-A-DUB MARKETっていう名前でイヴェントかアーティスト活動かをやりたいなと。それで、2人に〈やりたいと思ってるんだけど〉って声をかけたんです。ヒップホップ的なサンプリングの手法と、レゲエのデジタル感を合わせたような曲を作りたいと思ったんですよね。で、MPCを買って、そこにラガ・ヴォーカルを乗っけて……ていう感じ」(e-mura)。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2007年04月26日 18:00

ソース: 『bounce』 286号(2007/4/25)

文/荏開津 広