インタビュー

Timbaland & Magoo

新世代を代表するビート・マニアとして頂点に立ったティンバランド。
このたび新星ババ・スパークスも送り出した彼が、
ふたたび相棒マグーと組んでアーティスト・アルバムをリリース!
変革の人とはこういう人のことを言うのよ!

 創造性と革新性に富んだモードの選定者、 ティンバランドの名前を知らない人はいないと思う。 一定のサウンドに固執しない柔軟なセンスで、 シーンの流れをつねに追い風にし続けている存在だ。 が、その名声に反してさほど知られていないのは、 彼がラップ・アーティストでもあること。 これまでに相棒マグーと組んで1枚、 ソロで1枚のアルバムを放っているわけだが、 このたび到着した新作『Indecent Proposal』は、ふたたびティンバランド&マグー名義のアルバムとなった。 となると、ティンバのライム・パートナーであるマグーの果たす役割も当然大きかったはずだ。 そんなわけで、多忙を極める相棒のぶんまでマグーに話してもらうとしよう。 まずは、ダ・ベースメントと呼ばれるティンバランド・ファミリーが誕生した昔の話から……。



聴いたことのない曲を作りたい

「俺が住んでたチェスィピーって町に、ティムがヴァージニア・ビーチから越してきたんだ。 で、腕の立つDJがいるから俺のラップと合わせてみれば?って共通の友人に紹介されたのが最初さ。 80年代の終わりごろかな。ヤツはもうビートも作ってたけど、当時はまだDJがメインで、ちょうどその移行期だった。 ミッシ-(・エリオット)とはその後にまた別の友人を通して知り合った。 ジニュワインとはミッシーのやってたパーティーで出会ったんだ」。

ティムとはもちろんティンバランドのこと。ハイスクール時代にはティンバ&マグー+ネプチューンズ(!) というすさまじいメンツでラップ・グループをやっていたともいうが、ミッシーの結成した女性グループ、 シスタがディヴァンテ・スウィング(ジョデシィ)に見出されたことで、クルー全体が上昇を開始。 やはり光るモノがあったのか、ティンバとミッシーは早くからレコーディングの現場で重要な役割を果たしていた。 が、マグーも「95年以来会っていない」と話すように、クルーはディヴァンテと袂を分かつ。 そのトラブルもひところは話題になったものだ。ともかく、その後彼らは業界の超大物、 バリー・ハンカーソンが運営するマネージメント/レーベル、ブラックグラウンドに身を寄せることになる。 そして、ティンバとミッシーが、バリーの姪っ子アリーヤに着せたニュー・モードのサウンドが注目を浴びていくのだ。 さらに圧倒的な驚異をもって受け止められたジニュワインとミッシーそれぞれのデビュー……それ以降の各々の活躍は衆知のとおりだ。 マグーの出番は97年、ティンバランドと組んだ『Welcome To The World』で訪れた。 そして、4年の時を経て、ふたたびマグーにマイクが廻ってきた。

「しばらくレコードを作らなかったのは、レーベルの移籍とか、土台作りに時間を取られた部分が大きかったからさ。 それに、お互い忙しくてさ、とくにティンバはいつもあちこち飛び回ってるから……アリーヤが主演した映画 〈ロミオ・マスト・ダイ〉のサントラとか、いろいろやってたしね」。

そうやって完成した2人のセカンド・アルバム『Indecent Proposal』では、ここしばらくのティンバ・プロデュース曲に感じられた音像の変貌がいっそう顕著だ。 それは、あからさまなデジタルっぽさが、生音をザラッと加工した温かいファンク感に取って代わられている、といったふうに。

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掲載: 2002年05月16日 14:00

更新: 2003年03月06日 20:03

ソース: 『bounce』 228号(2001/12/25)

文/出嶌 孝次