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インタビュー

Timbaland & Magoo(3)

とにかく、彼はベストなんだ

 情報の乏しさゆえにババはヒップホップにハマッていく。 そして、これまでのラッパーに比べれば格段に〈近所〉であるアトランタから登場したアウトキャストに大きくインスパイアされ、 15歳のころからライムを書きはじめた。

「ド田舎だったからほかにやることがなくてさ」と言いつつ、ハイスクールに進んで、 フットボール(彼がラインバッカーに着いたチームは南部のチャンピオンシップ出場を成し遂げた)で将来を嘱望されても、 彼のラップ熱は冷めなかった。カレッジ時代には徒労に終わったレコーディングも経験している。 そうした逡巡の末、99年にリリースしたインディー盤の『Dark Days, Bright Nights』はラジオ局を中心にたちまち南部を駆け巡った。 そして、「なにがなんだかわからない状況ですべてが進んで、11のレーベルから11のオファーを受けたんだ」という状況からインタースコープと契約、 その後、ビート・クラブを設立しようとしていたティンバランドが彼の曲を聴くことになる。 いわく「ティンバランドは俺の曲を聴いてブッ飛んだんだよ」。 もちろん、ババもティンバランドのサウンドにはたびたびブッ飛ばされていた。

「ティンバランドとスタジオで過ごした2週間は、最高に夢みたいだったね。 自分を再発見した部分がいっぱいあったしな。彼はとにかく……ベストなんだ」。

そうして、『Dark Days, Bright Nights』は再リリースされた。 キモはもちろん、ティンバが新しく提供した6曲だ。ミッシー・エリオットの“Get Ur Freak On”を引用したヒット・シングル“Ugly”が、その共演を鮮烈に彩っている。

「〈ニュー・サウス〉のヒップホップだよ。“Ugly”みたいに惹かれるレコードは初めてだって自分でも思う。 これ以上のものはないぐらい俺の個性が出てるんだ。ティンバとやった“Bubba Talk”も俺の等身大なんだ。 あと、“Betty Betty”は女性を賛える歌で、ここではアセンズのうらぶれたストリッパーについてラップしてる。 あそこには女の子や、おかしな常連の客、ジャンキーたちがいて、おもしろい世界だったな」。

ともかく、ますます〈個〉がおもしろいシーンなのは承知のうえで、 ティンバランド軍団とダーティー・サウスという〈塊〉への興味がこんなにも強まるのはなぜなのか。 ババの以下の発言にその理由が隠されているような気がする。

「俺はみんなに、たくさんの生き方があること、お互いの違いを認めて、 それに感謝することで共存していけるってことを知ってほしいんだ。 だから、俺は俺のヴァイブで世界とコミュニケーションしたい。 それはヒップホップにとって新たな起爆剤になりうると思うよ。 南部だからって、後部座席に座って世界を眺めている必要は、もうないんだぜ」。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年05月16日 14:00

更新: 2003年03月06日 20:03

ソース: 『bounce』 228号(2001/12/25)

文/出嶌 孝次