王者も認めたスティーヴン・マクレガーって何者? 彼のキャリアとこれまでのワークスを紹介! (その1)
「うん、頭のなかでアイデアが増えていくばかりなんだよん」と語るレゲエ界のホープ、スティーヴン・マクレガーは弱冠19歳。あどけない表情と受け答えは、早熟なジャマイカンのなかでは一段と幼く見える。マヴァードとヴァイブス・カーテルという現行シーンの頂点に君臨するハードコアなバッドマンたちの人気を支え、ショーン・ポールをはじめとするインターナショナル・スターがラヴコールし、日本のシーンやメジャー・レイザーら海外からも熱視線を送られ、さらに現在は兄のチーノやラデンをブレイクさせるなど、とにかくダンスホールの現在を象徴するトップ・プロデューサーとして大活躍中のジニアス……には間違いないが、当人はいたって自然体の笑顔が絶えない小柄な少年だ。
父親はフレディ・マクレガー。レゲエの礎となったスタジオ・ワンに入門した父と同じく、7歳でまずシンガーとしてデビューしている。しかし、父親が自宅敷地内にスタジオを設立すると、マイク持ちではなく、自然と楽曲制作にのめり込むようになっていったという。プロデューサーとしての初仕事は、2005年にリリースされた父親の『Comin' In Tough』。同作に参加していた重鎮プロデューサーのボビー・デジタルが、当時15歳だった少年の仕事ぶりに驚嘆して〈Genius!〉と叫んだことが、現在のニックネームの源だ。そして、そこからすべてが動き出した。
2006年に〈Red Bull & Gunness〉〈12 Gauge〉など外部に提供したリディムがヒットしたのを受けて、同年後半からは父親の主宰するレーベル=ビッグ・シップよりシーンに本格参戦。以降、〈Power Cut〉や現在ヒット中の〈New Chapter〉など、ダンスホールからワンドロップまで変幻自在にリディムを放ち、ヒット・チューンを休むことなく出し続けている。ヒップホップやR&Bはもちろん、テクノやロックも貪欲に消化した彼のサウンドを、〈もはやレゲエではない!〉と嘆く輩もいるのは確か。しかし、その強烈なエナジーとアイデアは新世代の証ではないだろうか。自由さもレゲエだ。そして、それこそが常に新しい刺激を渇望し続けるダンスホール・マッシヴを驚喜させる最大の理由でもある。レゲエは常に新しい変化を力に前進してきた。現在、それを最前線で押し進めているのが、この少年というわけだ。当のスティーヴン君は飄々と笑ってみせる、「まだ始まったばかりだよ」と。*八幡浩司
▼〈Riddim Driven〉シリーズから、スティーヴン・マクレガーが手掛けた1ウェイ・コンピを紹介。